「歴史の通り道」をたずねる旅 4.浜松城と徳川家康ゆかりの地 |
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ホテル |
−(40分)→ |
浜松城 |
−(20分)→ |
犀ケ崖古戦場・本多忠真の碑・夏目吉信の碑・犀ケ崖資料館
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60分 |
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60分
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−(10分)→ |
西来院 |
−(15分)→ |
太刀洗の池 |
−(30分)→ |
浜松IC |
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10分 |
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15分 |
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()内の時間はお車でのおおよその移動時間。施設名下の時間はおおよその見学所要時間 |
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浜松城 |
昭和33年に天守閣が復元されました。石垣は築城当時のものです(1596年)。
見た目には、適当に積み上げたもので、崩れそうな感じもするのですが、400年以上の年月を経ているものです。野面積み(のづらづみ)という方法で、作られています。自然の石を使い、大きい面を内側にして長く押し込み、小型の石を詰めて砂利を入れます。石垣の外側の隙間には、さらに詰石をして固めます。水はけも良くて、水圧で崩れないようになっているとのことです。荒々しい印象をもたれるでしょうが、このような思いで、ご覧になってください。
浜松城の城主から、天保の改革で有名な水野忠邦を初め、江戸幕府の老中5人が出ています。そのほか、京都所司代や大阪城代、寺社奉行など多くの幹部が出たことから、出世城といわれています。
天守閣の内部は資料館となっています。家康や歴代の城主の資料が展示されています。
入場料:大人150円 浜松市元城町 053(473)1829 |
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犀ケ崖 (さいががけ)古戦場と『犀ケ崖資料館』 |
武田信玄との『三方ケ原の戦い』で大敗北となり、浜松城に攻め込まれる状況となりました。城を守る堀の役目をしている犀ケ崖の橋を壊して、布を張り橋に見せかけました。武田軍はこの谷に大勢の兵が墜落をしました。『布橋』という地名が残っています。
徳川・武田両軍の死者の霊を祀るために、いまでも『遠州大念仏』という行事が行われています。念仏踊りをして、町中を行列が通ります。
犀ケ崖資料館:浜松市鹿谷町 053(472)8383 |
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本多忠真の顕彰碑 |
三方ケ原の戦いで、しんがり隊の中に加わり、奮戦をして命を落とした武将です。 |
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夏目吉信の碑 |
三方ケ原の戦いの死地から脱出して、城に逃げ帰る家康の安全を図り、家康の装束で身代わりとなって死んだ武士です。 |
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西来院と太刀洗の池 |
家康の妻(今川義元の娘)築山御前が廟所です。武田側に内通していたとのことで、悲劇の死に方をしました。 |
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小豆餅と銭取 |
浜松には、小豆餅と銭取(ゼニトリ)の地名があります。「三方ケ原合戦の敗戦で、家康が浜松城に逃げ帰る途中、お腹が空いてお店の小豆餅を食べた。ところが、逃げ戦で気持ちが急いでいたため、お金を支払わずに店を出た。お店のおばあさんが食い逃げだと、大声を上げて後を追って、銭を取った。」子供の頃に、この話を聞きました。誰に聞かされたかは記憶にありませんが、浜松の子供たちは何かの折に、聞いているのでしょう。 |
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